松江にIターンして30年 最終回です
こんにちは!システムリンク)荻野です。
松江にIターンして30年 最終回です。今回は、松江の30年の変化をご紹介します。
初めて松江に来たのは昭和62年
初めて松江に来たのは、昭和62年のことでした。当時大阪のシステム開発会社に属していた私は「松江でシステム開発があるので、長期出張にはなるが行ってくれないか?」と打診を受けて気分転換がしたいこともあって打診を受けることにしました。
変化1:交通網の整備
まずは鉄道です。
はじめて松江に行くことになったときの、強烈な洗礼を受けました。それは、「特急やくも」。どんな洗礼だったかというと、とにかく揺れる、そしてトイレの消毒薬の薬のにおいが客室に蔓延している、、、同じ客室の女性などはずーっと顔色が悪く、ハンカチで口を押えていたのが衝撃的でした。最近の車両は良くなってそういうことはありません。
次は道路です。
大阪から引っ越しのときに車で移動したときの山越えの四十曲峠は強烈でした。名前の通り、急カーブ、急勾配の区間が続き、やっとの思いで、松江にたどりつきました。今は米子道が1992年に開通し、また山陰道も整備されたので、大阪からは下道を通ることなく、3時間40分で来ることができます。
鉄道も色々整備された多少は速くは着くようにはなりましたが、道路は高速道路が開通したので、劇的に改善されました。以前は大阪への移動は、鉄道が多かったのですが、時間がかなり短縮されたので、高速バスを利用することも多くなりました。
高速バスは、大幅に増便されましたし、鉄道は岡山乗り換えですが、高速バスだと直通なので、高速バスの方が便利だったりします。
変化2:市内の道路の整備
松江市は東西に大橋川が横切っているため、南北に分かれています。そのため、北の人間が南に通勤しようとすると
どうしても橋を渡るのに、時間がかかっていました。
それが2012年にだんだん道路が開通し、南北間を自動車専用道路で移動することができるようになりました。
私の場合でいうと、開通前は通勤時間は30~40分かかっていたのが、15分にまで短縮されて、非常に楽になりました。
だんだん道路は、将来的には、宍道湖の北側まで、延伸する予定なので、市内の渋滞はまた一層解消されると思います。
変化3:市内の公共交通機関
市内の公共交通機関については、30年たちましたが、改善はされていないと思います。
市内の公共交通機関としては、バス一択ですが、飲み会のときに使いたくても、飲みが終わる21時ごろにはほぼバスは走っていません。
なので、社内の飲み会でも、(飲み会なのに)飲まない人が続出で、なので、うちの会社の忘年会は、毎年旅館に泊まっての忘年会です。
飲み会の場合には、車を置いて家族に送り迎えをしてもらうか、車を持って帰ってくれる代行運転です。
地方都市ではおなじみの代行運転ですが、昔は代行運転するのにニ種免許はいらなかったのですが、やはりそこは問題になって(実際昔の代行の運転手さんの運転は怖かった)
そこは改善され、2004年からは代行の運転にも二種免許が必要になっています(最近は利用したことがないから、今の人の運転がどうなってるかわからないけど)
変化4:商業施設の充実
30年前は大きな商業施設といえば、駅ビルのピノ、やよいデパートくらいでしたが、その後、サティ(現在のイオン)が開店し、地場のスーパーマーケットも大型化が進み、買い物は便利になっています。ローソンさん、セブンイレブンさんは至るところにあり、困ることはありません。
また道路が整備され、米子-松江-出雲間の車での移動が楽になったので、我が家でも、週末には、出雲、米子、境港に買い物に行くことも多くなっています。
最後に
最後にUIターンを決めた方にアドバイスをするとすれば、車は用意した方が良いです。車があると行動範囲が違い、「楽しさ」が全然違います。私も最初に島根に来たときは、車ではなかったので、公共交通機関で動いていましたが行動範囲が狭く、車を持ってきてからは行動範囲が広まり、いろんなところに出かけて、島根の楽しみがたくさん味わえるようになりました。(まあお金はかかりますが、、)
30年をふりかえると子供たちも元気に育ち、松江で好きなシステム開発の仕事に携われて、良かったなと思います。
今回のブログがUIターンを検討されている皆さんの少しでも参考になれば幸いです。
またどこかでお会いしましょう!
東京オリンピックの年には定年退職する予定だったが、(オリンピックが延期されたからではないけど、)今も現役でプログラムを作る毎日。
休日は愛犬ロコと境港で散歩をするのが楽しみ。コロナ以降は仮想空間の無人島で釣りを楽しんでいる。